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「俺はまだ本気出してないだけ」が面白かった

読書

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)

「俺はまだ本気出してないだけ」という漫画が面白かったので紹介したい。

主人公は40歳になる中年バツイチの「大黒シズオ」。父親と17歳の娘と同居している。シズオはある日突然、15年間勤めてきた会社を辞め、無職になる。そして、漫画家になるという夢を見つける。
以前から温めていた一大決心の夢ではなく、自分探しのためになんとなく会社をやめて、なんとなく漫画家になることを目指してしまう。朝からゲーム三昧だったり、娘からお金借りたり、根拠のない自信に溢れていたり、こう、なんというか一言であらわすなら「ダメ人間」の物語である。

ファーストフード店で若者に混ざってアルバイトをしながら、漫画を描くという生活を送り、漫画を出版社に持ち込み続けるもボツの嵐。
いい年して何やってんだ。年頃の娘もいるんだし、さっさと定職について漫画は仕事としてではなく趣味で書けよ。将来どうすんだよ。というのが大方の人の抱く印象ではないだろうか。事実、シズオは同じようなことを常に父親から、時には若者から、時には編集者から言われ、自分でも人並みに落ち込んだり、自問自答したりする。だが、シズオは漫画家を目指すことを諦めない。本気なのだ。
現実味が無いようで、ものすごくリアルであり、コミカルなようで涙もある。画風がゆるい物語にマッチしている。

そういえば以前、読んで紹介した漫画の主人公も漫画家志望のおっさんだ。
漫画家志望のおっさんに惹かれているとでもいうのだろうか。知らず知らずのうちに、おっさんと呼ばれる年齢になってしまった自分を重ねているのかもしれない。10代、20代の若者が夢に生きるのはいたって自然だ。失敗してもまだ取り返しがつく。それを40、50過ぎたおっさんが退路を断って目指すからこそ面白い。
登場人物の頭上には(42)とか(17)という感じで年齢を表示するような描写が多数みられる。
これは日本には「年齢相応」という名の同調圧力があるからではないだろうか。例えば転職は35歳までにすること、結婚は30歳までにすることといったように「○○歳の人は、××でなければならない」といった風潮がごまんとある。これは日本以外の国ではあまり見られない傾向らしい。欧米では、履歴書に年齢を記入する欄がなく、年齢を尋ねることは法律で禁止されている。だが日本では年齢によって採否を決定する年齢差別は根強く残っている。

こうした、年齢を基準にしてその基準に合致しない人を異端者扱いする傾向は、今年の芥川賞受賞作である「コンビニ人間」にも通ずるところがある。主人公の古倉恵子は、大学卒業後もずっとコンビニバイトを続ける36歳独身の女性。恋愛経験もない。幼い頃から「普通」が分からず、大人になっても結婚や出産の意味がさっぱり分からない。誰にも迷惑かけず真摯に働いて生活しているはずなのに、「なぜ結婚しないのか」「なぜ就職もせずコンビニ店員なのか」「なぜ健康なのにずっとアルバイトなのか」と「普通」であることに執拗にこだわり「普通」を押し付けようとする周囲の人間のグロテスクさが描かれている。
「コンビニ人間」の累計発行部数は50万部を超えたというが、これは読者数のパイが小さい純文学の発行部数としては異例の数字であり、読みやすい文体というのもあるのだろうが、それだけ日本社会の村社会的な同調圧力に息苦しさを感じている人も多いのかもしれない。
確かに、適齢期というものがある分野もあるだろう。例えば、シビアな能力が要求されるスポーツの分野などであれば、「40歳で始めるには遅すぎる」、という話にもなるのかもしれない。

40代の子持ちの中年が会社を辞めて、漫画家を目指すことが本当に良いことなのか悪いことなのか正直わからない。ただ本来、人にはそんな選択だってあるはずなのに、社会的にはそうした選択肢は存在してはならないも同然となってしまっている。未来のことは誰にもわからないはずなのに。漫画家として大成功すれば、会社を辞めて正解だったってことになるのだろうし、もしかしたらそのまま芽が出ずに、娘や父親、友人からも愛想を尽かされ、果てしの無い孤独に落ち込んでしまうといったことになるのかもしれない。シズオの親友の宮田のように、良い家庭を築きたくてサラリーマンとして頑張り、優しく家族に接していても、家族が去ってしまうこともある。
シズオのようなダメ人間を結果論で肯定も否定もせず、その生き様だけがコミカルに描かれている。そんな漫画である。